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寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で。/三秋 縋 原作、田口囁一 画 全3巻

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この漫画のオススメポイント

毎日を無気力に過ごした結果、社会を運命を恨み、自分はそんなんじゃなかったと嘆く青年クスノキが、人生に行き詰んでいたところ、寿命を買い取ってくれる不思議な店の噂を耳にする。寿命の大半を売り払った彼は余命の3か月を「監視員」のミヤギと共に過ごすことに。

がんばることに疲れた若者が、自分の人生を売って残ったものは。彼がたどり着く最後に、自分の人生をどう思えるか。ツマラナイ・・・と思っていた毎日に色をつける方法が見えてくるかもしれません。

どんな時にオススメ

漫画喫茶に3~4時間ぐらいでキリのよい漫画を読みたい人。生きていくことがしんどい人。

心に残った台詞

主人公が送ったメールが届かなかった時、監視員のミヤビから言われた一言

あなたが他人を 自分の寂しさを 埋める道具くらいにしか見てないことは 案外 皆ちゃんと気づいてるんですよ

私的感想

この作品の原作は、もともと原作者の三秋 縋が「にちゃんねる」に掲載されていたショートストーリーを一本の長編小説として発表された作品です。この作品を端的に表しているのが、出版元にある下記説明です。

当時から、三秋縋という作者とこの作品はとても人気がありました。その理由は、作品の内容が「停滞する社会の中で、頑張れといわれ続け疲れ始めた少年少女たち」に向けた「優しい諦め」や、あえていうなら「理想の失敗」を提示していたところにあると思います。それらのいわば「負ける潤い」とも言える物語は、他の誰にも描くことの出来ない唯一無二の作風でした。

戦後、子供たちに対してずっと「がんばれ」と言い続けてきた日本。徐々に、「がんばってもどうにもならない」という現実が露呈してきた昨今。頑張った挙句に「失敗」してしまった若者の諦めを、やさしく認めてくれる作品。「本当の自分」なんてどこにもない。昔ちょっと出来る子だったかもしれない。褒めて育てられたかもしれない。でも、そんなの大人になった時には、哀愁以外の何物でもない。「やればできる」なんて幻想だから。

だからって、世の中、ちょっと幸せに生きる事はできるかもしれない。そうやって僅かの望みをかけて必死に生きてる人間に、諦め方を示してくれる本作品は、一度は読んでおいてほしい作品ではないかと。

順調な人生を歩いてる人には響かないかもしれないけど、そうでない多くの人がうまくいかなかった人生も赦されることを本作から感じ取ってほしいと思います。

若干の…ネタバレ

寿命を売る・・・漫画らしいモチーフですが、人生って何なんだろう?というのを深く考えさせてくれる作品です。

誰もが、自分の人生しか経験ができません。だからこそ、自分を無価値だなんて認めたくないし、悪あがきの1つでもしたくなる。けど、結局多くの人はスーパースターにはなれないわけです。それでも、人並みの幸せぐらいは・・・と願うわけですが、それすら難しくなっているのは、各種統計からも、そして肌感覚としても十分に痛いほど見えてくるわけです。ある年齢から、自分の人生に大した期待なんかできないことが分かる。けど、完全に諦めることもできない。「いつしかいいことがあるかもしれない」という希望を諦められないのが人間。特に、子供の頃に若干の才能があって、世の中を舐めていたような人間にとっては。

社会に馴染むというのは、簡単なようで誰にでもできることじゃない。いろんな選択のツケは、いつの間にか大きなものになって救いの道なんてどこにも見つからない。たとえ、人生を売り果たしたところで社会は優しくなってなんかくれない。

なんのために生きてるんだろう?

本当に深いテーマです。思春期の若気の至りが許される頃なら「親が勝手に子供をつくった。望んで生まれてきたんじゃない」とでも言って反発するかもしれませんが、いつまでもそう言ってられない。

本作では、余命を売る、という方法で人生と決別することを選んだ青年が、余命3ヶ月を生きていく中で「かけがえのない人生」を再発見していく・・・なんてことはなく、自分の人生がいかに無意味なものかに気付いていきます。そう書いてしまうと実もフタもないのですが・・・実際、人生の大半を売り払ったからって、劇的に人生が好転するはずもないのです。

それでも、この作品では1つだけあった救いは、主人公が、心から幸せにしてあげたいと思える存在をみつけたこと。でも、幸せにするためのチカラは、一朝一夕で手に入るものじゃない。

本作では、クスノキが子供の頃から頑張ってきたことが、たまたま 実を結ぶことになって、苦い彼の人生にも一滴の救いが得られる。でも、そんなラッキーは普通はまずありえない。でも、僕らは、期待するから足掻く。「いつか、きっと少しはいいことがあるんじゃないか」って。